林業史

林業史②封建制度の林業政策~領主による支配~

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封建制のもとの林業政策

平安後期から律令制から荘園制へと変化し、
荘園公領制がはじまり、荘園にも税金として官物がかけられるようになってきました。

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封建制のもとでは、

「上級領主の所有と在地領主の支配」から「在地領主の所有・支配」
と変わっていきました。

これが封建制なんです。中央集権や地方分権をいったりきたりするのが歴史です。
この封建制のもとでも、荘園内の山野では領主と農民による公私共利が継続されていきます。

また、封建制のもとでは、武士の勢力が強まっていきました。
武士の勢力が強くなるとどうなるかといえば、
武備や防備の施設(城や砦など)に木材利用がすすんでいきました。

山を所有する領主は農民の賦役により、支配下の森林を築城などの
土木建設に利用していきました。まさに人力の土木建設ブームでした。
さらに余った木材を販売してお金を稼いでいました。

木材マーケットの成立

木材、薪には商品的利用・流通が発展していきます。
人口がどんどん増えている
京や鎌倉では、木材消費市場が形成され材木座ができました。

座というのは、独占的商業組合のことです。

これで、農村は基本的に自給で生活し、
余ったものは都市向けに販売するし、消費は都市部という構図はこの頃できあがりました。

この当時は、農村部のほうが、金を都市部からもらっているので、
農村部もそこそこ発展している地域は発展していました。

木材消費に対する税金

農民は、林野からの燃料や家屋用木材の取得、
飼料や肥料の共同採取が容認されていました。

しかし、封建制のもとですから林野はお上のものです。
物や貨幣で賦課されました。

領主による伐採規制と造林奨励

森林伐採の進展による領主の伐採規制が行われました。
人口が増えていくと、必要なエネルギーも増加し、
はげ山が増えていったからです。

モアイ像で有名なイースター島が
木材の使いすぎで滅亡した話もあります。
イースター島の人たちが滅びたのは、
人口が増えて、木を切り倒し尽くした結果だという説が一般的には有力ですね。

領主は領主直轄の山地を指定しました。
そこでは禁伐化されました。

山の木を1本でも切ると死刑だったこともあるそうです。
「木一本、首一つ」とも言われました。

減らすことを食い止めるだけではなく、
増やそうともしました。

これが造林奨励です。

人工林を推奨したのですね。

16世紀には紀伊山地の吉野川流域で、
吉野林業が発達していきます。

伊勢国の尾鷲林業も16世紀末頃には始まります。
遠江国の天竜川流域でも上記よりは林業が若干遅れてはじまりました。

 

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